第57回 「がんばる」ことが分からない
掲載日:2019/08/19
「がんばろう!」「もう少しがんばって」。小学生の頃から周囲の大人や教師に何度も言われてきた言葉です。がんばることは必然、という文脈で使われることが多かったので、それ自体にあまり疑問を持たず、受け入れていました。そして、四半世紀以上社会人をやってきた今、改めて「“がんばる”ことって大切だな~」と感じています。そんな私にとって、ある学生のコメントは衝撃的でした。
「がんばったことがないので、“がんばる”ということがよく分からない」。意味を理解するのに、少し時間がかかりました。言葉そのままの意味なのですが、「がんばったことがない」というフレーズが、すぐには飲み込めなかったのです。
がんばる意味が見出せない、というのなら分かります。がんばってみたけど満足できるリターンが得られず、懐疑的になっている状態でしょう。高校より自由度の高い大学では、陥りがちな思考と言えます。授業内容も試験も難しい授業だって2単位、出席すればほぼOKな授業だって2単位。得られるリターンはどちらも同じ。それなら、より楽に単位をとって学位を取得した方が賢いのでは…。そんな考えが一度は頭をよぎるものです。大学生活は、がんばることの意味を自分なりに再構築する時期と言えます。
ちょっと本題から外れますが、楽単(楽に単位を取れる授業のこと)に対する私の考えを少しだけ。学士取得が目的であれば、できるだけ楽単を履修した方が賢いでしょう。最小の労力で最大の成果を得ることは、社会人として評価されるスキルなので、その思考自体を否定はしません。しかし、要領の良さだけで、40年以上の社会人生活を乗り切れる時代ではなくなりました。社会の変化にあわせて、学び直しをするなど、自分自身が変わっていく必要があります。新しい学びを能動的に得ることが目的であれば、大学でがんばることの意義は昔よりも大きくなっているはずです。
がんばらなくてもどうにかなる大学生活で、意義を見出すのは簡単ではありません。目に見えるリターンが保証されているわけではないし、将来役に立つ確証もないのです。そんなとき動機になり得るのが、これまで経験したがんばったことです。「なんとなく過ごしている大学生活より、部活との両立で大変だった高校の方が充実していた」「がんばろうと思えることを見つけたい」。楽だけど無為な今とくらべて、大変だったけど達成感や充足感があった過去の経験が、大学でがんばる彼らを支えています。
経験していることを前提に意義を語っていた私にとって、冒頭の「がんばったことがない」という発言は少なからずショックでした。自覚的にがんばったことがないだけで、本人の解釈の問題なのかもしれません。しかし、10数年前にも似たような感情を抱いたことを思い出しました。ある学生の発言に、やはり同様のショックを受けたのです。
「失敗したことがないので、質問に答えられない」。就職活動では、エントリーシートや面接で、失敗やその克服経験をよく問われます。この学生は自分の過去を振り返っても、失敗経験が見つからずに困っていました。そうは言っても何かしらあるだろうと、角度を変えていろいろと話を引き出してみたのですが、ごく小さな失敗(忘れ物をした…等)しか出てこず、選考で話せるような内容は見つけられませんでした。この時は稀なケースかと思ったのですが、似たような相談は年々増えていき、今では珍しいとは感じません。低学年(大学1~2年生)に「今の自分の実力が100だとしたら110~120ぐらいのこと、ジャンプをすれば手が届きそうなことにチャレンジしてみて!」と伝えているのは、就職活動までに失敗経験をしてもらうためです。すでに私のなかでは定番化したアドバイスと言えます。
数年後には「“がんばる”ことが分からない」という学生も増えていくのかもしれません。そんな予感がします。「喜んでくれる人がいるからがんばろう!」。そんな素朴な動機が効力を発揮するうちに、がんばる経験をしてくれればよいのですが、やることに理由を求める年齢になってから、リターンが不確実なことの必要性を実感してもらうのは至難の業です。がんばったという自覚がない学生に、その意義を心から理解してもらう自信が、私にはまだありません。きっと新しい支援やアプローチが必要になるのでしょう。これから生じる課題に向けて、今から少しずつ考えていきたいと思います。
執筆者紹介
キャリアコンサルタント 平野 恵子
大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。国家資格 キャリアコンサルタント