第37回 クセと個性の違い
掲載日:2016/04/19
この春に社会人デビューした若者が、そろそろ研修を終えて、現場に配属されている頃ではないでしょうか。今年も数社の新入社員と触れ合う機会があったのですが、例年以上に“学生っぽさ”が抜けていないように感じました。例えば、研修時の姿勢が大学の講義時のように受け身(反応が低く、自分には関係ないと自己判断したことには無関心)、連絡事項を伝えてもメモを取らない、注意しても時間管理の甘さが目立つ…などなど。
「学生気分が抜けていない」というフレーズは、毎年おなじみのものではありますが、今年は彼らの就活スケジュールが1つの要因となって、より顕著な気がします。
16卒採用の『指針』では、選考開始が8月まで後ろ倒しとなりました。そのため、最終的な内定先の決定が、9月までずれこんだ学生は少なくありません。数週間後には内定式で、卒論を書き上げたらもう卒業!というタイミングです。企業側も、冬から春にかけてはインターンシップが忙しかったので、内定者のフォロー研修どころではなかったでしょう。
昨年までは、内定者というポジションで就職先企業とゆるやかにつながっている時間が1年近くもありました。先輩社員との触れ合いをつうじて、自分と社会人の価値観や行動様式のちがいを感じることも多かったはずです。しかし今年の新人は、これまで通用していたスタイルがもう通じないことに今やっと気付いた!(←いまココ)、という感じでしょう(笑)。この先、配属先のOJTをつうじて、実社会の“流儀(良しとされるやり方、考え方など)”をインストールされていくことになります。
このインストールの過程で、彼らはさまざまな変化をみせてくれます。「クセ」が「個性」になっていくのも、その1つでしょう。「クセ」と「個性」。この2つは、同じ“自分らしさ”が根っこにありつつも、かなり異なった状態を表しています。
ここでいう「クセ」は、無意識に表出してしまう、あるがままで洗練されていない行動といったイメージです。「そのクセは直した方がいいよ」と、ネガティブに使われることが多いので、周囲から認められにくい“自分らしさ”と言えるでしょう。一方個性は「この企画は個性的だね!」といった感じで、比較的ポジティブに使われることが多く、周囲から認められている“自分らしさ”と表現することができます。自分が所属するコミュニティー(配属先の先輩社員など)から受け入れられれば「個性」で、そうでなければ「クセ」。そんなふうに、2つを分けて考えています。
仕事が組織の中で行われる以上、「クセ」のままでは“自分らしさ”を生かすことはできません。ちょっと粗野な状態の「クセ」に、コミュニティーの“流儀”がインストールされることで社会化がすすみ、「個性」となって仕事に生かせるようになっていきます。彼らの“自分らしさ”がスポイルされずに、組織に定着していく姿を見るのは本当にうれしいものです。
しかし、なかなか上手くいかないケースもあります。例えば、「クセ」を「個性」と勘違いしている場合です。社会人として変化することが求められているのに、「組織の歯車になりたくない」「社畜化するのはイヤだ」「ありのままの自分でいたい」といった言葉とともに、「クセ」を「クセ」のまま貫き通そうとします。
こうした若者に足りないものは何か。ありきたりな言葉ですが「素直さ」ではないでしょうか。もう少し詳しく言えば「意図的にコントロールされた素直さ」です。「クセ」を自らの意思で一旦停止して、先輩たちが教えてくれる“流儀”を丸ごと受け入れる。こうした行動を意図的にとれる素直さが大切だと考えています。
同時に、もともとの“自分らしさ”をスポイルしないことも大切にしています。自分を持たずに、周囲の指示をそのまま実行するだけでは、「言われたことはできるんだけど…」というタイプになってしまいます。自分を持ちつつ、他者のアドバイスを受け入れられる素直さがあれば、「クセ」は「個性」となり、組織に活かしていけるでしょう。
自分の周囲にいる先輩たちと円滑にコネクトしながらも、なおにじみ出る“自分らしさ”という「個性」が築ければ、自己効力感(自分はここでやっていけるという感覚)をともなった充実感を得ることができます。スポイルされない“自分らしさ”とキャパシティある“素直さ”の両方をもった若者を育成していきたいなぁ。理想論ではあるのですが、若年層支援に関わる者として、そんなことを新年度スタートにあたり考えています。
執筆者紹介
キャリアコンサルタント 平野 恵子
大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。国家資格 キャリアコンサルタント