採用・昇格・人材・組織開発の日本経営協会総合研究所

第21回 歴史が繰りかえす「大学生」という若者論争

掲載日:2013/08/09

私が担当するコラムには、『最近の学生気質』というタイトルがついています。「最近」とある以上、できるだけ今どきの学生の様子が伝わるようにと、彼らのリアルな言動を思い返しながらテーマを考えています。

その時よく悩むのは、何が“最近の学生気質”で、何が“時代を超えた学生気質”なのか、ということです。自分が大学生だったのは、はるか遠い昔の話。自分のときも同じだったはずなのに、それを棚に上げて「最近の学生は…」などと言っているのではないか。そんな気持ちになることが少なくありません。

社会経験の乏しい若者は、大人から見ればいつの時代も常に未成熟な存在です。ついつい苦言の1つも呈したくなります。時代をさかのぼればプラトンも、いやヒッタイト大国の粘土版にも、いやいや紀元前3000年のエジプトの象形文字にだって…。どれも学術的な論拠は薄いのですが、あらゆる時代や地域で「最近の若者は~」というニュアンスの言葉があると言われます。

この手の若者論争では、就職活動中の大学生は格好の的となってきました。その変遷をたどれば、時代を超えて指摘され続けている学生気質というものが見えてくるかもしれません。

民間企業への就職が一般的になり始めた大正から昭和を中心に、新卒採用における学生評価をまとめてみました。

(参考および出典元)

  • 日本就職史/尾崎盛光著(昭和42年出版)
  • 就職~商品としての学生~/尾崎盛光著(昭和42年出版)

大学を卒業したら民間企業に就職するというスタイルは、大正中頃に広がりました。第一次世界大戦中に民間企業が著しく発達し、大企業を中心に定期的な大学生の採用がはじまったからです。

当時は、大学令によって新たに許可を得た大学がその数を増やし、高等商業学校(主に学制改革によって大学となる)も設立ラッシュをむかえました。それにより高等教育を受けた若者が、需要以上に数多く輩出されたのです。それは供給過多という大学生のインフレ化を生じさせました。

「最近の学生は小型になった」「大学生はマス化し、砂のごとき大衆となった」。企業からはそんな声が聞かれはじめ、学生の質の低下が懸念されるようになったのです。ちなみに、ここで言う「質」は学力のことではありません。高い評価を得ることのできる人物や人格のことを指しています。

当時の企業コメントを見ると…。
「あまり成績とか席順とかのみに頼ることは、往々にして当人の真価を見誤る場合が多い」「人物のほうからいえば、なるべく愛嬌があり、元気があり、一見人に悪感情をいだかせぬのがよい」「人物次第では、学校を第一位で出たものでもお断りしたものもあります。…憮然として腕組みをして話をしたり、人をバカにしたような目つきで委員(面接官)を見回したりしたような人です」(日本就職史P137)。
民間企業の新卒採用は、当初からコミュニケーション能力を中心とした人物重視の選考をしていたようです。

人物本位となれば、やはり面接が大きなウエイトを占めます。学生にとって、面接は今も昔も大きなストレスです。「大井川なら俺でも越すが、越すに越されぬ人物試験」という文句が当時の大学生のあいだで流布したとあります。きっと当時の学生もずいぶん苦労したのでしょう。

そんな学生を支援するため、大学は就職ガイダンスに力を入れはじめます。「1つ1つの求人会社の採用条件、各社の好み、待遇や勤務条件などを詳細に説明する。…会社の選考委員(面接官)になりすまし、面接試験の模擬テストをする。その際に、解答のしかた、口のきき方、頭の下げ方、そのほか挙措動作のこまかい点まで、手をとらんばかりにして教えた」(日本就職史P184)。これは大正13年頃の明治大学の就職ガイダンスについて書かれた一節です。徹底した指導の様子がうかがえます。

また人物本位の風潮は、体育会系学生の優遇という現象も生みだしました。大正末期の就職難のときでもスポーツの花形選手だけは売り手市場だった、と記録にあります。「多数の人間関係のなかにいて、人間も練れ、人づきあいもよく、規律正しく、忍耐力もあり、動作は機敏、明朗で身体もいいし、馬力もある」(日本就職史P140)。評価のポイントは今とほとんど変わりません。

大学生の大衆化。それによる質の低下の懸念。人物本位の選考とそれに呼応する就職テクニックの発達。現在に通じるこれらの事象は、すでに100年ちかく前の大正時代から指摘されていました。

すこし余談になりますが、当時と決定的に異なる点を1つ挙げておきます。それは出身大学による初任給の違いです。帝大・一橋が85円、慶應・早稲田等が70円、神戸高商は75円、その他官立高商・外語が70円、高千穂高商は65円と大正11年の記録にあります。学歴別に一律の初任給でスタートするという今の制度が定着するのは、昭和初期以降のことです。

昭和初期になると不況による就職難がさらに加速しました。そのため、学生は勉強そっちのけで就職活動にかまけていたようです。就職対策をまとめたマニュアル本も大流行しました。「就職戦線めがけて」「就職戦術」「彼は斯して就職せり」。当時発売されたこれらの本は、そのものずばりテクニック中心の内容となっています。

マニュアルでガチガチに武装した学生の評価は、当然高くはありません。「近頃の学生は誰もみな非常に利巧になって、受験技巧なども心得ているから、…どんなことについても、とにかく試験官の気に入りそうなことをいって、その場を上手に切り抜けようとする者があまりに多い。」「近頃きわだって目につき、かつ不愉快に感ずるのは、…いわゆる応試術というようなものを青年学生が心得ていることである」「先輩の成功した体験談に徴して、その技巧を盛んに研究している傾向である」(日本就職史P211)。多くの企業からマニュアル学生への批判が聞かれました。

他にも“大学生が多すぎる”“選り好みしすぎる”など、就職難の要因はさまざまに指摘されています。そのどれもが、現在の就職問題を語っているのではないかと錯覚を覚えるようなものばかりです。

昭和中期にはいると、戦後の学制改革により新制大学が数多く誕生しました。大学生のマス化がさらに加速したのです。これにより大学生の学力低下問題が顕著化していきます。「それは彼らの論理の単純性に表れている。…ともかく単純にものごとを割り切り、それを疑うべき第二の論理をもたない」(就職~商品としての学生~P99)。ロジカルシンキングとクリティカルシンキングの欠如を指摘しています。

「小型化した」「質が低下した」「学業そっちのけで就職ばかり」「マニュアル化した」「大学生が多すぎる」「贅沢を言いすぎ」「学力が低下した」…。これらは、時代を経ながら幾度となく使われてきた言葉なのです。最近の学生傾向だと言っても全く違和感はないでしょう。

社会が発達・高度化すれば、一定レベル以上の教育を受けた人材ニーズは常に増え続けます。大学生の求人数も、大局的にとらえれば増加の一途をたどっています(高卒の求人数は減少傾向)。だからこそ、大学は増えつづけ、進学率は上昇を続けていきました。結果としてこの100年間、大学生は大衆化し続け、評価は低下し続けたのです。

学生気質の背景には、その時代特有の育成環境があります。一方で、およそ100年前から通底している社会構造のようなものも色濃く影響しているのです。その大きな流れに起因している学生気質は、私たち大人世代も経てきた「いつか来た道」だと言えるでしょう。

執筆者紹介

キャリアコンサルタント 平野 恵子

キャリアコンサルタント 平野恵子

大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。国家資格 キャリアコンサルタント

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