大学で“キャリア科目”という授業が定着し始めたのは2000年代の中頃です。日本学生支援機構の『大学等における学生生活支援の実態調査(平成18年6月30日発表)』(※1)によれば、2005年の調査時点で、約半数の大学が何らかの単位認定授業をおこなっています。
2011年には大学設置基準が改正され、すべての大学で「社会的・職業的自立に関する指導等」(キャリアガイダンス)が義務付けられました。それを機に拡充がすすみ、今ではほとんどの大学で単位認定の授業が実施されています。
30代後半以上の方には、ほとんど馴染みのないキャリア教育ですが、この教育的効果を調査し、まとめた本が出版されました。『大学生白書2018』(溝上慎一 著)には、約10年間におよぶ継続調査の結果がまとめられています。
その一部を紹介しましょう。
- 掲載日:2018/10/22
第52回 将来の見通しの立て方


溝上慎一 (著)より抜粋
2010年からの6年間で、「将来の見通しあり」が7.0ポイント、「将来の見通しの実現に向けたすべきことを理解」は11.9ポイント低下しています。つまり、キャリア教育は広がったものの、卒業後のキャリア形成に目立った効果は見られない、ということです。
関係者としては、厳しい現実です。とはいえ、根幹的な課題を語るには、私の見識も紙幅も足りていません(苦笑)。普段自分が接している学生の見聞から、この結果に意味付けしてみようと思います。
キャリア教育あるある!な内容に“先輩社会人が自らのキャリアを語る”といったものがあります。しかし、この手のプログラムで「自分の将来に見通しが立った」という学生に出会ったことがありません。話の内容が問題というより、その手前に要因があるように感じています。
そもそも自身の価値観があいまいで、他者のキャリアを聞いても、単なる感想で終わってしまい、自分に引き寄せて考えることができない。つまり、アイデンティティの問題があるように思うのです。“自己”という尺度がなければ、好きや嫌い、合うや合わないといった判断はできません。
ある学生レポートの一部を紹介しましょう。
「TwitterやInstagramなど、誰でも簡単に情報を発信できたり、受信できたりする一方で、自分と他者との比較が容易にできてしまう。それが過ぎると、自分らしさというものが分からなくなってしまう」。このレポートは次の一文で締めくくられています。「自分らしくあることを自分に求めすぎている。それが重たく感じられ、自分という存在がぼやけることに、一種のあこがれを抱いている」。
ネットの世界をちょっと覗けば、リアルでは知り得ないほど大量の情報が、彼らの視界に入ってきます。自分で「得意かも…」と認識していたことも、より高いレベルで実現している同世代がたくさんいます。それらとの比較が過ぎると「自分らしさ」という言葉が重たくなるのでしょう。
以前なら、数人のリアルな仲間内で、自己を形づくることができました。見える範囲が狭いからこそ、芽生えたばかりの弱い自我は、徐々に力強さを増していき、そのうち根拠のない自信のようなものまで得ていきます。私自身もそうだったように思います。
今は際限なく見えてしまいます。ネット上でしか知らない知人と比較して、自らを定義づけようとしても、無限に広がるネット情報が相手では、アイデンティティの確立は至難の業です。就職活動のとき、必要以上に自己分析にセンシティブになる傾向も、こうしたことが影響しているのでしょう。
自分を定義づけ、肯定することが難しい時代です。しかし、いまさらテクノロジーを否定した生活を送ることもできません。であれば、頭でっかちにさせすぎないことも大切ではないでしょうか。
見知らぬ大人のいる適度な規模のコミュニティーに身を置くことを、学生に勧めることが増えました。そこで、自分にもできることがある…と小さな自信を得られれば、等身大の自分が肯定されます。周囲からすれば、ほんの小さな出来事です。でも、それがきっかけで、大学生活が大きく変わることもあるのです。人が育つ上で、適切な環境というものがあるように感じています。
バックナンバー
- 第82回 「企業の思惑」に適応した「就活生の変化」
- 第81回 学生を社会人へと育成する専門職の必要性
- 第80回 “ガクチカ”と“ブラックインターン”の関係
- 第79回 就職活動が学生を成長させる理由
- 第78回 育成プロセスの見直しが必要だと考える理由
- 第77回 学生が求める“心地よい働き方”とは
- 第76回 指示的に「主体性」を育成するジレンマ
- 第75回 就職活動の受験化について考える
- 第74回 マスクを外すタイミングを考える
- 第73回 新入社員の大切な仕事
- 第72回 学生が望むキャリアの多様性
- 第71回 今どきの就活アドバイスが学生に与える影響
- 第70回 “人それぞれ”な就職活動
- 第69回 オンライン授業の出席率が高い理由
- 第68回「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」に学業「ガクチカ」も加えませんか
- 第67回 新卒採用の今昔~変わらないものを考える~
- 第66回 「わきまえた行動」を求めてしまう私たち
- 第65回 大学生活のオンライン化について思うこと
- 第64回 就活支援サービスの功罪
- 第63回 新しいコミュニケーションに適応していく若者
- 第62回 対面で映える学生、WEBで光る学生
- 第61回 新入社員の矛盾した2つの想い
- 第60回 面接で「第1志望です」と答える理由
- 第59回 「退職代行サービス」を利用する心理
- 第58回 SNSに晒されるというコミュニケーションリスク
- 第57回 「がんばる」ことが分からない
- 第56回 レイバーでない「働く」体験をインターンシップで!
- 第55回 子どもの気遣い・大人の気遣い
- 第54回 大学入学からはじめる家庭内キャリア教育
- 第53回 「知人」という弱い紐帯の重要性
- 第52回 将来の見通しの立て方
- 第51回 主体的に「自己表現しない」という選択
- 第50回 学生から社会人への移行が難しくなった理由
- 第49回 受け身の合理性
- 第48回 売り手市場における就活生の不安や悩み
- 第47回 学業で自己PRする難しさと質問内容
- 第46回 自分らしい社会人でいるために必要なこと
- 第45回 「自己分析」が好きになれない理由
- 第44回 無反応でも話しつづけられる学生
- 第43回 “コミュ力”と“トーク力”ばかりが重視される理由
- 第42回 「承認」することの効果
- 第41回 学生と一緒に「分かる」を「できる」に
- 第40回 努力は報われると考える理由
- 第39回 まだ見せていないポテンシャル
- 第38回 彼がマスクをする理由
- 第37回 クセと個性の違い
- 第36回 「好き」というエネルギー活用
- 第35回 今どき学生の出会い事情
- 第34回 様変わりしている就職活動/1990年 vs 2015年
- 第33回 売り手市場が学生に与えるマイナスの影響
- 第32回 日本の学生、アメリカの学生
- 第31回 「ジャンケン」と「多数決」の話し合い
- 第30回 学生の誤字に関するあれこれ
- 第29回 学生の「自己責任」論にみる実社会イメージ
- 第28回 成熟した”素直さ”
- 第27回 「分かり合えない」のが普通
- 第26回 就活における負のスパイラル
- 第25回 悩めない学生
- 第24回 困難を選択する困難さ
- 第23回 単語化するコミュニケーション
- 第22回 高大接続から考える学生気質
- 第21回 歴史が繰りかえす「大学生」という若者論争
- 第20回 結果とプロセス、どちらを重視?
- 第19回 「教えすぎる」「待てなさすぎる」という弊害
- 第18回 直木賞作品『何者』に見る学生コミュニケーション
- 第17回 リクルートスーツが「黒」で統一されている理由
- 第16回 “資格”にまつわる誤解
- 第15回 若者言葉にみる共感コミュニケーション
- 第14回 「3年で3割」という離職率をどう考える
- 第13回 学生から社会人への乗り越えかた
- 第12回 エントリーシートに見る今どきの学生事情
- 第11回 コミュニケーション能力を評価する難しさ
- 第10回 内定者の期待値調整
- 第9回 「大学生」という言葉のズレ
- 第8回 新米就活生の不安
- 第7回 学生から社会人への育て方
- 第6回 今どき学生の企業選び
- 第5回 採用時期の繰り下げ問題と学生の意識
- 第4回 インターンシップのひずみ
- 第3回 不確実さを避ける学生
- 第2回 面接で泣く男子学生をどう思いますか?
- 第1回 「当たり前」のギャップ~大学生の消費者意識~
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キャリアコンサルタント 平野恵子
大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を
基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。
国家資格 キャリアコンサルタント