第51回 主体的に「自己表現しない」という選択

「アサーション(assertion)」という言葉をご存じですか。日本ではあまり定着していない概念なので、適切な訳が難しいのですが、代表的な書籍『アサーション・トレーニング』(平木典子著)の表現をかりれば、“さわやかな自己表現”もしくは“自他尊重の自己表現”となります。

 この書籍では、人間関係のスタイルを3つのタイプに分けています。①相手を自分の思い通りに動かそうとする「アグレッシブ(自分だけスッキリ)」。②自分の感情は押し殺して相手に合わせたり、決断を相手に委ねたりする「ノンアサーティブ(相手だけスッキリ)」。そして、③自分の考えを伝えつつ、相手の意見も尊重して、互いの最適解を模索する「アサーティブ(自分も相手もスッキリ)」です。

 学生同士のグループワークを見ていると、ノンアサーティブ寄りの学生が6~7割で、残りの3~4割がアグレッシブ寄りといった感じです。最初からアサーティブな対応ができる学生はほとんど見かけません。多くのグループワークは、アグレッシブとノンアサーティブのみで成立しているといえるでしょう。

 コミュニケーション・トレーニングの1つとして、3タイプ別の対応例や発言例を考え、それぞれのタイプを体験するというワークがあります。「アサーション」という概念がおぼろげながら理解できると、多くの学生が「アサーティブな対応ができるようになりたい」と考えるようになります。

 ところが最近、気になる学生コメントを見かけるようになりました。「自分の意見を言って、相手が不快になるぐらいなら、私はノンアサーティブのままでいい」。別の学生からは、「面倒なので、ノンアサーティブな対応をすることが多い。それで不快になることもない。むしろ楽だ。それでもアサーティブな対応を心掛けなければならないのか」と疑問を呈されました。

 他者との対立が怖くて、気持ちを押し殺して他者の意見に従うというノンアサーティブは、以前から見られる“学生あるある”です。私が気になっているのは、自分で意思決定しないスタイルを、積極的に選択する学生の存在です。「主体的にノンアサーティブを選択する」という表現は矛盾を感じるのですが、そういうことです。

 アサーティブなコミュニケーションは、自分も相手も大切にする自己表現なので、時間も配慮も要します。自らの考えを明確にして、言語で伝えた上で、相手の意見も理解する必要があります。ハッキリ言えば、面倒で手間のかかるスタイルです。もっと楽で、快適なコミュニケーションがあるのなら、わざわざ実践しようとは思わないでしょう。

 また、本人が本気で「イヤだ!」と感じることを強いられれば、ノンアサーティブではいられないはずです。対立のリスクがあっても、「No」と声をあげるでしょう。つまり、主体的にノンアサーティブでいられるということは、自分に意見する他者は、ある程度自分への配慮があり、本気で嫌がることを強いたりしない…ということです。それなら、面倒くさいアサーションは避けて、他者の意見にのっかる方が楽です。

 問題は、実社会に出てからです。関わりをもつ他者は圧倒的に増え、自分と利害の相反する人も少なからず存在するようになります。自分に配慮された意見ばかりではなくなり、本気のアグレッシブを経験することもあるはずです。そのとき、主体的ノンアサーティブな若者は、適切な自己表現をすることができるのでしょうか。とてもそうは思えません。我慢するだけ我慢して、閾値を超えたある日、突然「辞めます」なんて言い出しそうです。

 学生と接していて感じるのですが、自分の“意思”というものに自覚的でない学生は、意外なほど多くいます。「どうしたいの?」と問うて、「どうすればいいですか?」と問い返された経験は、数多あります。ノンアサーティブでも快適に過ごせるのなら、自分の“意思”を明確にする必要性すら感じにくいのでしょう。

 自分はどうしたいのか。そのために、何をすればよいのか。それを1から考え、相手に伝え、最適解を模索しながら意思決定を行う。アサーティブな対応は、学生にとって高いハードルといえます。とはいえ、長期的に信頼関係を築くときには、必要となるコミュニケーションです。

 ここまで書いて、ふと思ったのですが、私たち大人は、どれだけアサーションを実践できているのでしょうか。このところ世間を騒がせている様々な出来事を見るにつけ、懐疑的な気持ちになります(笑)。自戒の念を込めて言えば、自分の意思と向き合うことを避け、なんとなくやり過ごしていることが多いように思います。若者の特性は、時代を映す鏡なのかもしれません。

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キャリアコンサルタント 平野恵子
キャリアコンサルタント 平野恵子

国立大学の教育学部卒業後、会社勤務を経て、現在キャリアコンサルタント(CCE,Inc.認定GCDF-Japan)。大学生や社会人などの若年層を中心としたキャリア支援を専門に活動している。また、人材会社の研究員として、就職活動に関する動向や意識調査をもとに、雑誌や専門誌への執筆も行う。