「アサーション(assertion)」という言葉をご存じですか。日本ではあまり定着していない概念なので、適切な訳が難しいのですが、代表的な書籍『アサーション・トレーニング』(平木典子著)の表現をかりれば、“さわやかな自己表現”もしくは“自他尊重の自己表現”となります。
この書籍では、人間関係のスタイルを3つのタイプに分けています。①相手を自分の思い通りに動かそうとする「アグレッシブ(自分だけスッキリ)」。②自分の感情は押し殺して相手に合わせたり、決断を相手に委ねたりする「ノンアサーティブ(相手だけスッキリ)」。そして、③自分の考えを伝えつつ、相手の意見も尊重して、互いの最適解を模索する「アサーティブ(自分も相手もスッキリ)」です。
学生同士のグループワークを見ていると、ノンアサーティブ寄りの学生が6~7割で、残りの3~4割がアグレッシブ寄りといった感じです。最初からアサーティブな対応ができる学生はほとんど見かけません。多くのグループワークは、アグレッシブとノンアサーティブのみで成立しているといえるでしょう。
コミュニケーション・トレーニングの1つとして、3タイプ別の対応例や発言例を考え、それぞれのタイプを体験するというワークがあります。「アサーション」という概念がおぼろげながら理解できると、多くの学生が「アサーティブな対応ができるようになりたい」と考えるようになります。
ところが最近、気になる学生コメントを見かけるようになりました。「自分の意見を言って、相手が不快になるぐらいなら、私はノンアサーティブのままでいい」。別の学生からは、「面倒なので、ノンアサーティブな対応をすることが多い。それで不快になることもない。むしろ楽だ。それでもアサーティブな対応を心掛けなければならないのか」と疑問を呈されました。
他者との対立が怖くて、気持ちを押し殺して他者の意見に従うというノンアサーティブは、以前から見られる“学生あるある”です。私が気になっているのは、自分で意思決定しないスタイルを、積極的に選択する学生の存在です。「主体的にノンアサーティブを選択する」という表現は矛盾を感じるのですが、そういうことです。
アサーティブなコミュニケーションは、自分も相手も大切にする自己表現なので、時間も配慮も要します。自らの考えを明確にして、言語で伝えた上で、相手の意見も理解する必要があります。ハッキリ言えば、面倒で手間のかかるスタイルです。もっと楽で、快適なコミュニケーションがあるのなら、わざわざ実践しようとは思わないでしょう。
また、本人が本気で「イヤだ!」と感じることを強いられれば、ノンアサーティブではいられないはずです。対立のリスクがあっても、「No」と声をあげるでしょう。つまり、主体的にノンアサーティブでいられるということは、自分に意見する他者は、ある程度自分への配慮があり、本気で嫌がることを強いたりしない…ということです。それなら、面倒くさいアサーションは避けて、他者の意見にのっかる方が楽です。
問題は、実社会に出てからです。関わりをもつ他者は圧倒的に増え、自分と利害の相反する人も少なからず存在するようになります。自分に配慮された意見ばかりではなくなり、本気のアグレッシブを経験することもあるはずです。そのとき、主体的ノンアサーティブな若者は、適切な自己表現をすることができるのでしょうか。とてもそうは思えません。我慢するだけ我慢して、閾値を超えたある日、突然「辞めます」なんて言い出しそうです。
学生と接していて感じるのですが、自分の“意思”というものに自覚的でない学生は、意外なほど多くいます。「どうしたいの?」と問うて、「どうすればいいですか?」と問い返された経験は、数多あります。ノンアサーティブでも快適に過ごせるのなら、自分の“意思”を明確にする必要性すら感じにくいのでしょう。
自分はどうしたいのか。そのために、何をすればよいのか。それを1から考え、相手に伝え、最適解を模索しながら意思決定を行う。アサーティブな対応は、学生にとって高いハードルといえます。とはいえ、長期的に信頼関係を築くときには、必要となるコミュニケーションです。
ここまで書いて、ふと思ったのですが、私たち大人は、どれだけアサーションを実践できているのでしょうか。このところ世間を騒がせている様々な出来事を見るにつけ、懐疑的な気持ちになります(笑)。自戒の念を込めて言えば、自分の意思と向き合うことを避け、なんとなくやり過ごしていることが多いように思います。若者の特性は、時代を映す鏡なのかもしれません。
- 掲載日:2018/08/03
第51回 主体的に「自己表現しない」という選択
バックナンバー
- 第82回 「企業の思惑」に適応した「就活生の変化」
- 第81回 学生を社会人へと育成する専門職の必要性
- 第80回 “ガクチカ”と“ブラックインターン”の関係
- 第79回 就職活動が学生を成長させる理由
- 第78回 育成プロセスの見直しが必要だと考える理由
- 第77回 学生が求める“心地よい働き方”とは
- 第76回 指示的に「主体性」を育成するジレンマ
- 第75回 就職活動の受験化について考える
- 第74回 マスクを外すタイミングを考える
- 第73回 新入社員の大切な仕事
- 第72回 学生が望むキャリアの多様性
- 第71回 今どきの就活アドバイスが学生に与える影響
- 第70回 “人それぞれ”な就職活動
- 第69回 オンライン授業の出席率が高い理由
- 第68回「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」に学業「ガクチカ」も加えませんか
- 第67回 新卒採用の今昔~変わらないものを考える~
- 第66回 「わきまえた行動」を求めてしまう私たち
- 第65回 大学生活のオンライン化について思うこと
- 第64回 就活支援サービスの功罪
- 第63回 新しいコミュニケーションに適応していく若者
- 第62回 対面で映える学生、WEBで光る学生
- 第61回 新入社員の矛盾した2つの想い
- 第60回 面接で「第1志望です」と答える理由
- 第59回 「退職代行サービス」を利用する心理
- 第58回 SNSに晒されるというコミュニケーションリスク
- 第57回 「がんばる」ことが分からない
- 第56回 レイバーでない「働く」体験をインターンシップで!
- 第55回 子どもの気遣い・大人の気遣い
- 第54回 大学入学からはじめる家庭内キャリア教育
- 第53回 「知人」という弱い紐帯の重要性
- 第52回 将来の見通しの立て方
- 第51回 主体的に「自己表現しない」という選択
- 第50回 学生から社会人への移行が難しくなった理由
- 第49回 受け身の合理性
- 第48回 売り手市場における就活生の不安や悩み
- 第47回 学業で自己PRする難しさと質問内容
- 第46回 自分らしい社会人でいるために必要なこと
- 第45回 「自己分析」が好きになれない理由
- 第44回 無反応でも話しつづけられる学生
- 第43回 “コミュ力”と“トーク力”ばかりが重視される理由
- 第42回 「承認」することの効果
- 第41回 学生と一緒に「分かる」を「できる」に
- 第40回 努力は報われると考える理由
- 第39回 まだ見せていないポテンシャル
- 第38回 彼がマスクをする理由
- 第37回 クセと個性の違い
- 第36回 「好き」というエネルギー活用
- 第35回 今どき学生の出会い事情
- 第34回 様変わりしている就職活動/1990年 vs 2015年
- 第33回 売り手市場が学生に与えるマイナスの影響
- 第32回 日本の学生、アメリカの学生
- 第31回 「ジャンケン」と「多数決」の話し合い
- 第30回 学生の誤字に関するあれこれ
- 第29回 学生の「自己責任」論にみる実社会イメージ
- 第28回 成熟した”素直さ”
- 第27回 「分かり合えない」のが普通
- 第26回 就活における負のスパイラル
- 第25回 悩めない学生
- 第24回 困難を選択する困難さ
- 第23回 単語化するコミュニケーション
- 第22回 高大接続から考える学生気質
- 第21回 歴史が繰りかえす「大学生」という若者論争
- 第20回 結果とプロセス、どちらを重視?
- 第19回 「教えすぎる」「待てなさすぎる」という弊害
- 第18回 直木賞作品『何者』に見る学生コミュニケーション
- 第17回 リクルートスーツが「黒」で統一されている理由
- 第16回 “資格”にまつわる誤解
- 第15回 若者言葉にみる共感コミュニケーション
- 第14回 「3年で3割」という離職率をどう考える
- 第13回 学生から社会人への乗り越えかた
- 第12回 エントリーシートに見る今どきの学生事情
- 第11回 コミュニケーション能力を評価する難しさ
- 第10回 内定者の期待値調整
- 第9回 「大学生」という言葉のズレ
- 第8回 新米就活生の不安
- 第7回 学生から社会人への育て方
- 第6回 今どき学生の企業選び
- 第5回 採用時期の繰り下げ問題と学生の意識
- 第4回 インターンシップのひずみ
- 第3回 不確実さを避ける学生
- 第2回 面接で泣く男子学生をどう思いますか?
- 第1回 「当たり前」のギャップ~大学生の消費者意識~
バックナンバーを全て表示

キャリアコンサルタント 平野恵子
大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を
基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。
国家資格 キャリアコンサルタント