第41回 学生と一緒に「分かる」を「できる」に

 今回は、(少し気が早いのですが)今年1年の出来事を振り返りつつ、思うところを散文的にまとめてみたいと思います。

 大学生のキャリア教育に携わり、彼らのまえで言葉を発する立場からすると、この2016年に起きたさまざまな出来事は、心苦しさや恥ずかしさを感じることばかりでした。

 キャリア教育プログラムの1つとして、バックボーンが異なる多様なメンバーと「協働」を体験してもらうワークがあります。狙いとしては、次のようなソーシャルスキルの獲得を目指しています。 ・円滑に他者と意思疎通できる態度、適切な言語選択、対話力 ・アサーティブ(相手の意見も尊重しつつ、率直に対等に思っていることを伝える姿勢)な自己主張 ・感情のセルフコントロールや他者への寛容性 など  しかし今年を振り返れば、対話が断絶した国会の強行採決、他者への偏見と狭量さを感じさせるヘイトスピーチ、大統領選挙での感情的で独善的な罵詈雑言など、気が重たくなるような話題ばかりでした。  現実世界の出来事は、学生に伝えたいことの真逆ばかりです。立場上、学生の育成を促さなければならないので、現実を棚上げしてフィードバックするわけですが、心の中では(私たち大人の方が全然できていないよね。エラそうにアドバイスして…申し訳ない)とつぶやいていました。

 話はちょっと変わりますが、皆さんは会合やシンポジウムなどで「居眠り」をしたことがありますか?私は…あります(笑)。

 先日、業界研究を目的にOBOGによるパネルディスカッションを実施しました。その際、見学されていた人事担当者から、居眠りをしている学生が多いと苦言をいただきました。正論すぎるほどの正論ですし、おっしゃるとおりです。でも、学生の気持ちも分からないではないのです。

 人選は大学側がおこなったので、学生は興味がなくても話を聞かなければならない状況でした。普段なら何かしら気を紛らわして眠気をやり過ごすのでしょうが、さすがに社会人のまえでスマホを出すわけにはいきません。変な言い方ですが、がんばって話を聞こうとした結果の居眠りだったわけです。普段の様子を知っている私からすれば、よくやっていると思ったぐらいです。でも、失礼な態度には違いはありませんから、後日学生にはきつめのアドバイスをしました。

 その数日後、私はある学会のシンポジウムに参加しました。幅広いテーマを扱っているので、いくつかのセッションは完全に門外漢で、頭の中には「?」マークがいっぱいです。徐々に集中力が切れてきて、いつのまにか居眠りをしていました。周囲に目をやれば、ご同胞がチラホラと…。大人同士の集まりなので注意はされませんが、やっていることは学生と同じです。

 どうも私たちは、実社会に出る前の若者に、高すぎる理想を求めてしまう傾向があるようです。特に就活生には、“自分たちでもできていないことを、したり顔で求めてしまう”ようにも感じます。

 グループディスカッション選考では、「多様な価値観のメンバーと意思疎通をはかり、合意形成する力」といった主旨の評価項目を設けている企業は多いでしょう。多様な価値観、意思疎通、合意形成…。果たして、私たちはどれだけできているのでしょうか。

 例えば、新卒採用を論じるとき、企業側と大学側で意見が衝突することは少なくありません。“学生ファースト”という総論はすぐに合意がとれますが、時期や手段といった各論になると、両者の足並みは急にそろわなくなります。対話の場でも、「どれだけ自分たちの主張を通せるか」というゼロサムゲームになりがちです。

 自らの主張のあとは、相手の主張を一旦丸ごと受け入れ、理があれば自身の考えを変えるスタンスがなければ、異なる両者が意思疎通した上で合意形成することは難しいでしょう。これは、相当に高度なコミュニケーションですし、私自身できているとは言えません。

 「分かる」と「できる」は違います。実社会経験を積んだ私たちは、社会人としてあるべき態度や姿勢は分かっていますが、実際どれだけできているのでしょうか。冒頭の今年の出来事を振り返れば、自省せざるを得ません。

 学生から社会人へと変化をうながす過程で、彼らに発する言葉の1つ1つが、そのまま自分に突き刺さります。それらを学生と一緒に受け止め、少しでも多くのことがちゃんと「できる」ようになることを、2017年のテーマにしたいと思っています。

バックナンバー

バックナンバーを全て表示

キャリアコンサルタント 平野恵子
キャリアコンサルタント 平野恵子

大学低学年から新入社員までの若年層キャリアを専門とする。
大学生のキャリア・就職支援に直接関わりつつ、就職活動・採用活動のデータ分析を
基に、雑誌や専門誌への執筆などを行う。
国家資格 キャリアコンサルタント