第18回 直木賞作品『何者』に見る学生コミュニケーション

 読んでいて辛くなるときが多々ありました。何度か手を止めながらの読了です。作中で描かれているようなSNSネイティブな学生なら、逆にページをめくる手が止まらなくなるのではないでしょうか。それぐらいリアルな作品でした。

 直木賞作品『何者』の作者である朝井リョウ氏は、2012年卒生として実際に就職活動をおこなっています。その経験を十二分に活かして、同じ大学に通う友人同士の就職活動を中心にストーリーは展開されていきます。現実とSNSが入り交じった彼らのコミュニケーション。それゆえ強調される就活のシンドさや複雑な人間関係。それらが執拗なほど丁寧に描かれています。

 「自分は何者なのか」「何者かになれるのか」。通底するテーマは古典的と言えます。青年期特有のアイデンティティ探索(別名、自分探し)は、学生から社会人への移行期とちょうど時期が重なります。そのため、就職活動を通じて自分探しをする姿が描かれた作品は少なくありません。

 自分の意に反して髪を切り、着たくもないスーツを強いられる不自由さ。迎合した時点で、アイデンティティを手放したかのような喪失感。社会的に認められていないからこそ固執してしまう自己。就職活動によって、自分のなかの何かがぐらぐらと揺らぎ、不安定になるのは当然です。私を含め、程度の差こそあれ、きっと皆さんにも思い当たる節があるのではないでしょうか。

 そんな古典的なテーマを扱いつつも、『何者』に斬新さがあるのは、SNS(主にツイッター)が日常に入り込んだ学生コミュニケーションを丹念に描いているからでしょう。作中の登場人物におけるSNSとの距離感は様々です。ヘビーユーザーもいれば、ライトユーザーもいます。利用目的も多様で複雑です。しかし、微妙な人間関係を維持させるため、SNSというコミュニケーションツールを使いこなす姿に共通性とリアリティを感じます(これは私の経験にもとづく主観であって、学生一般に適応できる話でないことを先にお断りしておきます)。

 普段行動を共にする親密圏コミュニティーの人間関係は、とても繊細です。彼らはできるだけ波風を立てない人間関係を優先します。否定的な反応は極力避けられ、強調されるのは同調の意思表示です。

 若者言葉でよく耳にする「まじか~」「マジで!」という言葉は、自分の態度はあいまいにしたまま、とりあえず同調できる便利な言葉です。だからこそ多用されているのでしょう(※)。日常会話では、対立リスクのある話題は避けられ、同調しやすい当たり障りのない話題が選ばれます。変化が少なく流動性が低い学校という社会では、波風立てない処世術がなによりも求められます。それが彼らに必要なコミュニケーション能力でもあるのです。

 しかし、就職活動を機に変化が起きはじめます。同調を重視した学生スタイルのままでは、就職活動で全く通用しないからです。同調ありきではなく、まず自分の意見を持つこと。そして相手の意見を尊重しつつ、自分の意見をハッキリと伝えること。就活では、今までにない高いハードルが課せられます。

 学生スタイルしか経験のない多くの学生にとって、実社会スタイルは頭で理解できても、感覚的には分かりません。だから、違いを認め合う調和のとれた関係よりも、優れた資質を誇示してライバルとの優位性を際立たせようとします。エピソードを言葉巧みに誇張して、プレゼンテーションゲームに勝ち抜かなければ内定は得られない。そんな思考が蔓延していきます。

 個人の成績でランク付けされる学校社会には、win-winという関係があまり存在しません。それゆえ多くの学生は、オレが通るためにはおまえが落ちる必要があると、ゼロサムゲーム的思考に捕らわれがちです。まだ何者でもない学生同士で、僅かな差異を誇張し合い、自己の社会的価値と優劣を過剰なまでに気にしつつ、結果に一喜一憂するのです。

 そんな葛藤のなかでも、親密圏コミュニティーの同調的友人関係は保たれようとします。そのため、友人の就活成功談などを耳にすると、心がざわついて大変です。妬みや猜疑心があふれ出そうになったり、心が折れそうになったりします。コントロールしにくくなった自分の感情は、SNSに投影されていきます。作中の彼らでいえば、別アカウントで思う存分シニカルな発言をしたり、必要以上に前向きなつぶやきや強気なつぶやきをして、多くの人の承認を得ようとします。本書で最も痛々しかったのが、今までの自分を保とうとするあまり、SNS上の発言が過剰になっていく過程です。

 自己を確立していく青年期には、他者の存在が必要不可欠です。他者と関わることでしか、自己の輪郭は見えてきません。SNSによって青年期の自己開示は一段と複雑になったように思います。決してSNSを否定しているわけではありません。私自身よく利用しますし、とても魅力的なコミュニケーションツールだと感じています。ただ、脆弱な自己が鍛えられていく渦中の学生にとって、どんな影響があるのか。それが気になります。

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キャリアコンサルタント 平野恵子
キャリアコンサルタント 平野恵子

国立大学の教育学部卒業後、会社勤務を経て、現在キャリアコンサルタント(CCE,Inc.認定GCDF-Japan)。大学生や社会人などの若年層を中心としたキャリア支援を専門に活動している。また、人材会社の研究員として、就職活動に関する動向や意識調査をもとに、雑誌や専門誌への執筆も行う。